
究極の味と香り、芸術品とさえ言われる近江牛。
その肉の柔らかさと独特の風味は、世界中のグルメを魅了しています。
近江牛は、おもに滋賀県の蒲生、神崎、愛知の三郡で生産されています。鈴鹿山脈を源流とする愛知川、日野川、野洲川の三つの河川にはさまれたこれら一帯は、江州米(近江米)産地の中心地であるとともに、昔から麦などの裏作利用が盛んでした。
このため自給飼料に恵まれ、また水質の良さと愛情を込めた育て方によって、
理想的な肉質の近江牛を作り上げてきたのです。 詳しくはこちら>>
近江牛には独特の美しい色沢と細かく柔らかな繊維、そして肉繊維の中に含まれる脂肪のまじり(霜降り)の見事さが特徴です。
この霜降りは本来消えやすいものですが、近江牛に限っては消えにくいと言われています。
柔らかくて脂肪に粘りがあり、口に入れると、とろけるような風味が出るのはこのためです。
近江牛の名声は、決して一朝一夕に生まれたわけではありません。
湖国の風土と先人の努力の結晶が、輝かしい伝統をつくりあげてきました。
「カネ吉」の創業者、山本竹三良は近江牛を全国に普及させた功労者の一人です。
明治二十九年に近江八幡で牛肉の販売を始め、
大正の末には東京に卸売店を開設、東北・北海道にも販路を拡大し、信用と実積を高め、宮内省御用達をおおせつかるまでになりました。
当時は冷蔵・冷凍設備のなかった時代ですから、 牛肉は常に在庫することが出来ず、牛肉が入荷すると、太鼓を打ち鳴らして人々に知らせたといいます。

音を鳴らしてカネ吉の売り出しを知らせるチンドン屋さんたち
また、夏場は油紙に牛肉を包んで、涼しい井戸に吊して保存するなど、今の私達には考えも及ばない数々の苦労がありました。
先人の様々な努力で、昭和の統制経済や戦後の混乱期も切り抜け、お陰様で、今では地元の皆様からは、「近江牛といえばカネ吉、カネ吉といえば近江牛」とのお言葉をいただいております。
近江のもつ豊かな自然と文化を背景に、ひたすら本物の味を求めて、「カネ吉」
は今後も近江牛一筋に歩んでまいります。
豊かな自然と古い歴史によって培われた文化が継承されているまち、近江八幡。
この歴史ある文化と風土を背景に、創業以来頑なに守り続けてきた、確かな品質と、代々受け継がれる技術。
古くからの伝統を受け継ぎ、カネ吉が今もなお地元に愛され、地域で一番店であり続けていることには、理由があります。
2011年、現在のカネ吉は、牛肉(枝肉※)の選定・仕入を下記の2名にて担当し、入荷された牛肉は、カネ吉専属の9名の職人達によって捌かれています。
※ 枝肉・・・牧場から直接またはセリ市にて買い付ける、牛一頭から、頭部や内臓を取り除いた状態のこと。
久田 勉 (食肉部部長) 58歳
無口、実直、頑固、を絵に描いたような職人気質で、情にも厚く職人達からの信望も厚いが、同時に、恐れられる存在でもあり、彼が包丁を握った時の捌き場には何とも言えない緊張感が走る。
1970年 カネ吉に入社。早くから先輩職人達や社長らに牛肉・精肉の真髄を教え込まれる。
1980年代半ば頃からはカネ吉の中でも頭角を現し始め、その目利きの鋭さと妥協を許さない姿勢が買われ、やがては枝肉の選定・仕入を任されるようになる。
この写真のような笑顔は滅多に見られない。久田を知る者から見れば貴重な一枚。
社長の山本卓次からも絶大な信頼を置かれ、現在は、卓次よりも多くの選定・仕入に関わっている。
山本 卓次 (社長) 83歳
1928年、カネ吉の二代目・山本わさの次男として生を受ける。
20代前半まで建築関係の資格を取得するなど学業に専念していたが、1954年、家業を継ぐ形で、本格的に精肉修行を始める。
1965年、山本わさから代表の座を譲り受け、カネ吉の代表となる。
以来、社長という重責ばかりか、選定・仕入という精肉店にとって最も重要な役割を、「久田がモノになるまでは」(本人談)一人だけで担ってきた。
家業を手伝っていた頃も合わせると悠に60年は近江牛を見続けていることになる。
現在でも、趣味の美術品の収集、園芸、ゴルフに野球に、その年齢からは考えられないほど精力的に活動し、今も現場の第一線で仕事をこなす。
その外見とは裏腹に、すぐに冗談を飛ばして場を和ませ(時に周囲を困らせ)、近隣の者からは未だに「卓ちゃん」と呼ばれるなど、とても愛嬌がある。









